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自分を変えたい

キツイ日もムリヤリ突っ走り続けてたら「見える景色」が変わってきた

2015年11月1日

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HAGANEYA(@imech_jp)です。

筋トレを始めて、そろそろ丸5ヶ月になります。アスリート並に負荷をかけてやっているわけではないので、大した運動量ではありません。でも、毎日続いています。

一方、8月6日に再開した当ブログは完全復活から数えて4ヶ月目に突入です。9月18日からは日刊更新も始め、なんとか今日まで継続できています。

この過程で色々と紆余曲折もあり、習慣継続が困難な場面もありました。ですが、そのほとんどは「自分自身の怠惰」が原因で発生したものばかりです。それでもムリヤリ継続をしていく中で、反省点や改善点も多々見えてきました。

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「今日は気分が乗らない」という言い訳を "築いた習慣" がブチ壊していく

実際のところ、まだまだ「怠け心」は払拭しきれていません。

テレビのバラエティ番組も浴びるほど観てしまいます。ゲームやネットサーフィンも(以前ほどではありませんが)ついついやってしまいがちです。

それでも「今日は面倒くさいから休もっか?」という悪魔のささやきを、これまでに築いてきた習慣が華麗にブチ壊してくれるようになりました。「この時間だけは、何があってもデスクに向かわなければいけない」という強迫観念が、私を記事執筆へと駆り立ててくれるのです。

書けるときに書き、書けないときには休むというのではない。

書けない、と思うときにも、机の前に座るのだ。すると、ついさっきまで、今日は一字も書けない、と思ったはずなのに、ほんの少し、行く手が見えるような気がするから不思議である。(宇野千代)

武器としての書く技術」131ページより引用

 

他人の ”精神論” なんかで良い習慣を形成することはできない

以前「精神論を振りかざす人と距離をおこう」みたいなことを書きました。

無気力・うつ状態から脱出するためのポイントは「優しさ8:厳しさ2」

解釈の仕方によっては「キツイ日もムリヤリ走り続ける」というフレーズには、精神論・根性論的な響きがあります。

ですが「習慣を形成する」という行為自体には、精神論的な要素が見当たりません。単に「これ!と決めたことを毎日続ける」だけのことですからね。

 

精神論という言葉には、どちらかと言えば「他人」が絡んでいます。他人による(世間一般で言うところの)精神論は、ただの「不快な価値観の押し付け」です。全く発展性がありません。

一方で、習慣を形成するという行為は「自分自身」が行います。自らで「絶対に破ってはいけない約束事を決める」というものです。破ったことによって、自己実現への道が遠のいたとしても「自業自得」なので納得がいきます。

自分で決めたことですから「破ったことによってどういったペナルティが発生するか?」を身体で覚えます。誰にも責任の所在を追及できませんので、自然と「破らないような行動をとる」ようになってくるわけです。

 

なんとなくだけど「見える景色」が変わってきた

見える景色といっても、劇的に何かが変わったわけではありません。毎日の生活の中で、ふと気づいた時に「謎の安定感」を感じるようになった・・・みたいな感じです。

筋トレの継続は「身体」に筋肉を付けます。日記やブログの継続は「言葉」に筋肉を付けます。

今まで筋トレの習慣が全く無かったので気づくのに時間が掛かりましたが「頭と肉体の両方を同時並行で鍛える」という行為には、人生観を一変させるだけの効果・効能があります。

 

「身体」の強化 +「言葉」の強化 =「心」の強化(謎の安定感)です。

「自分とひたすら向き合い続け、心を強化していく」「過去の自分に勝ち続ける」ことこそが、本来の”精神”論なのではないかと思います。それに気づいたあたりから、見える景色が変わってきました。

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