HAGANEYA(@imech_jp)です。
日記を付け始めてから、丸3年になります。
最初の1年は紙媒体(手帳)で記録していましたが、無意識のうちに紙をケチっていたこともあってか、記録する日としない日がありました。というか、手帳の時代は「日記を毎日書く」という習慣形成そのものに苦戦していたように思います。「なぜ、日記なんて付けなきゃいけないんだ?」という意識が根底にあったので、なかなか定着しませんでした。
そんな私ですが、2年目でEvernoteに移行してからは毎日思う存分書きなぐるようになりました。習慣作りには成功したわけですが、これは記録媒体をデジタルに変えたことだけが理由ではない気がします。
これはやはり、長期間続けることによって「どこかのタイミングで、日記を付けるメリットに気づくことができた」のではないかと考えています。
「答えは自分の中にある」は本当だった
シゴタノ!で「不調時の乗り切り方」についての記事が書かれています。
不調とは不安です。
いま実感している不調が今後もずっと続き、
「このままどんどんダメになっていったらどうしよう…」という不安を連想するのです。
過去の不調時の記録を読み返すことで、この連想を断ち切ることができます。
なぜなら、不調の後にふたたび好調が戻ってくることが記録の上で確認できるからです。
不調だった時の日記・記録を読み返すことで「このスランプ状態は今回が初めてではないんだ」と安心できます。
よく「答えは自分の中にある」なんて言葉を耳にしますが、これは別に禅問答でもなんでもなく「事実」だと思います。よくよく振り返ってみると「過去の自分が既に答えを導き出していた」なんてパターンは意外と多いものです。
なぜ、日記を付けたほうが良いのかというと「せっかく過去に答えを導き出しているのに、記録してなかったから覚え直し」みたいなことが平気で起こるからです。人間は、あらゆる感情や記憶をすぐに思い出せるほど高性能ではありません。
日記を付けることによって、少なくとも「似たようなスランプ・トラブルは事前に回避できる」ようになります。
人生は自分が思っているほど困難ではないと思いますが、それはあくまでも「記録を付けていた場合」です。毎回毎回、解決済みの対処法を忘れた状態からのスタートでは、気持ちも折れてしまうと思います。
記録が「報酬」である
最近、まとめサイトなどで「人生を”オープンワールド”ゲームに例えた記事(スレッド)」をよく見かけることが多いです。
オープンワールドゲームとは、グランド・セフト・オート(GTA)やスカイリムのような「現実世界をリアルに再現したゲーム」のことを指します。
スレッド内でよく反対意見として出てくるのは「現実世界は、経験値や報酬が目に見えない。だから続かない。」という意見です。この感覚、すごくよくわかります。
そして「こういう人こそ、今すぐに日記を付け始めるべきだ」と言いたいです。なぜなら、付けた記録こそが「報酬(経験値)」に他ならないからです。
もちろん、日記が実際のお金に換金できるわけではありません。日記を付けてステータスの上限が増えるわけでもありません。
物理的な報酬には直結しませんが、その代わり「達成感・充実感」という報酬を得ることができます。「今日はこんなことをやった」「◯◯作業を終えることができた」「◯◯をやることに成功した」みたいな記録を毎日付けることによって、脳が「報酬を得た」と勘違いします。
15分間食べるのを我慢できたらもう1つマシュマロをあげると子どもは言われていました。
自分を律して我慢できた子供は約3分の1。10年以上経ってから実験に参加した子どもたちがどうなったかを調べてみると、自分を律することができた子どもたちは誘惑に負けた子どもたちよりも成功していました。
「物理的な満足」は先延ばしになってしまいますが、それまでの苦痛に耐える精神力が確実に身につくので、時間差で「物理的な報酬も伴ってくる」という感じです。
最後に
私の場合「行動のキッカケを作る」ためにも日記を付けています。日記というよりは「タスクリスト」ですね。
ある意味「タスクリスト」と「日記」のゴッタ煮状態で記録をしています。日記を付けることに慣れていない方は、こういう形で記録していっても良いのではないでしょうか。
「タスクはタスク」「日記は日記」と分けてしまっても良いですし、そのほうがわかりやすいんですが・・・最初は「とにかく記録する」を意識するだけでも効果があると思います。
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