HAGANEYA(@imech_jp)です。
2015年9月27日に放送された「ヨロシクご検討ください(日本テレビ系)」の中で、バカリズムさんが「“ういっす”を国語辞典に載せる。というのはどうでしょうか?」という主張を繰り広げていました。「的確な言葉が見つからない」時に使うとのことです。
使用シーンの例としては「挨拶した後に廊下で再会」「うちの親戚に似てる」「私ってブスだから」「今日かわいい下着じゃないから!」などなど。どれも、よく遭遇しがちなシチュエーションではないでしょうか。
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その使用例の中に「LINEの締め」というものがありました。
「(自分)了解しました!」→「(相手)よろしくお願いします!」→「(自分)こちらこそよろしくお願いします!」→「(相手)では来週!」
・・・と「永遠に終わらない”締め”が互いに繰り返される」というもの。こういう時の最後の締めに「ういっす。」を使うと良いとのことです。
SNS上での「締め」
先日Twitterで、私の記事URLを引用した形でツイートされている方がいました。
語尾が疑問形だったので「これは自分に対する質問なのか?」「世間に対しての問いかけなのか?」と一瞬迷いましたが、もし自分に対しての質問だとしたら「無視」になってしまうので、コメントを返すことに。
それに対する返信は特に求めていなかったんですが、数日後にさらにお相手の方から返信が来ました。締めの言葉は「ありがとうございます」でした。
さて、ここであなたは「さらに」リレーを続けますか?
私は、続けませんでした。なぜなら「相手の方にとって、負担になる可能性がある」と思ったからです。もっとも「Twitter」だし、こういうユルい絡みはSNS上であればよく見かける光景です。しかし、このようなユルい絡みを「日常生活」ですることは果たして出来るのでしょうか?
世の中には「自分のターンで話を終わらせるのが苦手」な人が多い気がします。その理由は、綺麗な言葉を使うとすれば「相手への気遣い」とも言えますが、背景には「相手のターンで話を終わらせてしまうことで、嫌われてしまうのではないか?」という”自己保身”の感情も働いているように感じます。
「締めの言葉」や「冒頭文」に時間を割くべきか否か
日本語というのは面倒です。「冒頭」や「締めの言葉」で頭を悩ませなければいけません。
私自身、例えばブログを書いていても「本文はスラスラ出てくるのに、冒頭文&締めの文章で知恵熱が出るほど悩んで数時間経過」みたいなことが多々あります。
本文ほど重要かと言われると、そうでもありませんし「別に端折っても構わない」気もするんですが、無かったら無かったで気持ち悪い気もします。素っ気ない感じの文章になってしまいそうなので、やっぱり必要なのでしょうか。
用量、用法を守って使いましょう
番組内では、女性の「私ってブスだから」発言への対応策としても使われてました。相手に年齢を聞いた時の「何歳に見える?」返しほどではないですが、確かにこれも面倒っちゃ面倒です。
こういった場面で「ういっす」を使うのはさすがに勇気が要りますが、それ以外の「あらゆる場面にスーッと入っていけそう」な単語なので、個人的には「国語辞典に載せても良いぐらい使い勝手の良い言葉」だと思います。
半分ネタなのは承知の上で、これは検討してみても良いのかもしれない。。。
他にも番組内では、山里亮太さんが「褒められた時の返し」として「なーちゃーちゃぱーたちーす」というフレーズも挙げられていました。用法の一つとしては「いやー、そんな大したことないですよ」的なニュアンスでしょうか?
あまりにも流暢だったので思わず笑っちゃいましたが、このように「意味のない言葉に、色々なニュアンスを含ませる」ことで解決する場面は結構ある気がします。
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